盗作とオリジナルの境界とは?~様々な手法から知る作品への眼差し~

近年、さまざまな世界で話題になっている盗作・パクリと言った問題。他人の著作物を模倣するのは良いことではない…だれもがそういった認識は持っているでしょう。しかし、その一方で境界線が微妙でわかり辛いのも事実です。 - 盗作と創作のボーダラインはどこか?

盗作と創作のボーダラインはどこか?

「学習」と「盗用」の違いを知る
自分では作風をマネただけのつもりでも、他者から見れば盗用としか思えないほど似ている、ということは創作初期においてはよくあることです。では、他者から見て、盗用とみなされないマネとはどういうものでしょうか。

簡単に言えば「作品を形作る技法を盗んだもの」なら、盗用とみなされることはありません。多くの方々から「パクリだ」と指摘される作品の多くは表面的な部分、絵に描かれているものや話の設定などを流用しています。

逆に、うまく自分の作品に取り入れる方々は、話の作り方や絵の構図といった技法を盗み、自分のものにするようです。有名な例としてはゴッホやモネ、ルノワールやドガといった印象派の方々があげられるでしょう。

彼らは日本の浮世絵の模写も行っており、絵のなかには浮世絵の技法に大きな影響を受けているものがみられます。にも関わらず「盗作」と非難されないのは、技法を盗みはしても「表面的な絵の部分」を盗みはしなかったからです。

小説なども同じことが言えるでしょう。キャラの設定や作中のトリックなどをそのまま使えば、やはり盗用と思われるはずです。しかし、心理描写の仕方やトリックを巧妙に見せる手法ならば「パクリ」ではなく「学習」と言えます。

「類似」と「盗作」のわけ方

なにをもって「パクリ」とするかは個人の判断基準によりますが、ある程度の指標はあります。そして、その「指標」を知ることで、設定や作風が「かぶる」ことはあっても「パクリ」とみなされることはいくらか減らせるでしょう。

「かぶり」と「パクリ」に明確な差はあるか?
人間である以上、思いついたアイデアがかぶってしまうことはあります。また、小説や漫画などストーリー性のあるものは、整合性や展開の自然さが求められる以上、自由というわけにはいかず、似通う点が出てくるのは避けられません。

では、どこまでが「かぶり」として許され、どこからが「パクリ」として非難されるのでしょう。正確な境目を見つけるのはむずかしいですが、ある程度の指標となるものはあり、できるだけ「パクリ」の確率を下げることはできます。

「かぶり」として許されるものは、簡単に言ってしまえば、定石や定番として認知されているものです。例えば「過去に飛んで、死ぬべき運命にある人間を救う」という設定はSFでよくみられるものであり「パクリ」にはなりません。

しかし、過去に飛ぶための装置がふつう思いつかないような独自性の強いものだったり、死んだヒロインの設定が丸々一緒だったりすれば「パクリ」と疑われても仕方ありません。ただ、ヒロインの設定によるのも確かです。

多くの作品で見られるような、典型的なヒロイン像であれば、特に「パクリ」と言われはしないでしょう。要するに、設定や展開などが人々にどれだけ認知されているか、過去に似た作品がどれだけあるかが鍵となるということです。