盗作とオリジナルの境界とは?~様々な手法から知る作品への眼差し~

近年、さまざまな世界で話題になっている盗作・パクリと言った問題。他人の著作物を模倣するのは良いことではない…だれもがそういった認識は持っているでしょう。しかし、その一方で境界線が微妙でわかり辛いのも事実です。 - 盗作にみる現代の価値観と危険性

盗作にみる現代の価値観と危険性

パスティーシュは芸術運動につながる?
他者の作風をマネることを「パスティーシュ」と言います。パスティーシュに故意かどうかは関係ありません。いわゆる「影響を受けた」という部類のものすべてを指し、たいていは小説など文学においてつかわれる言葉です。

とは言っても、誰からも影響を受けていない作家などいるはずもありません。ですから「パスティーシュ」は、読者にわかるほど色濃く影響が反映されているものに限定されます。つまり、きわめて主観的な言葉と言えるでしょう。

パスティーシュをおこなう人物たちは、いわゆる「フォロワー」と呼ばれる方々です。少数しかいなければ、ただのモノマネで済まされるかもしれませんが、フォロワーが大量に発生した場合は、ブームやムーブメントになります。

すべてではありませんが、歴史の中には、パスティーシュが現れたことで芸術運動へと至ったものも少なくありません。おかげで、現代まで技法や作風として残り、現代の作家たちが成長する上で重要な知識となっています。

上記のことを考えれば、フォロワーを模倣者とけなし、後追いだと評価を下すばかりではよくないことがわかるでしょう。文化が発展していくためには、「モノマネ」をする人々を、批判をしつつも見守る精神が必要ということです。

極端な「パクリ」認定は成長をさまたげる

インターネットの普及と、SNSによる情報伝達速度の向上により、作品の盗作問題がとりあげられるようになりました。ですが、怪しい作品はすべて「パクリ」というのはあまりにも極端で、危険な考えのように思います。

「学習」と「盗作」は紙一重
SNSで、作家のプライベートや他の有名作品の情報を入手しやすくなったことで、盗作か否かを判断する目は厳しくなりました。作者が見にいった展示の作品と自作に共通点がみられれば、すぐ「パクリ」の烙印を押されてしまいます。

確かに、他作品の影響を強く反映してしまうと、盗作と呼ばれても仕方ない出来になってしまうでしょう。ですが、ほんの少し似た点があるくらいで、何でもかんでも「パクリ」と騒ぐのは、作家の芽をつぶすだけです。

諸説ありますが、一般的に「学ぶ」という言葉は、「まねぶ」や「マネる」と語源が同じ、と言われています。子どもを見ていればわかりますが、本来「学習」とは人の様々な言動を観察してマネることであり、成長には欠かせません。

もちろん大人も同じです。特に作家は、他人の作品を見てインスピレーションがわくこともありますし、新人のときは憧れの作品の影響が色濃くでてしまいます。オリジナリティとは、成長していくことで初めて得られるものです。

ですから、細部の類似点をあげつらって「パクリ」と指摘するのは、オリジナリティを得る前の作家たちをつぶすことにもなります。次代の作家を育てるためにも、鑑賞者は時間をかけて冷静に判断を下すべきではないでしょうか。